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忌野清志郎さん、お亡くなりに・・・

ロックの革命家・忌野清志郎さん、がんに死す…58歳、早すぎるよ

忌野清志郎さんが、癌性リンパ管症のため死去されたそうです。

享年58歳とのことですが、まだ若いじゃないですか。

復帰を祈っていた、一ファンとしては、戦いに敗れた清志郎さんを思うと、さぞ無念だったろうなと思わずにはいられません。

偉大なロックスターが亡くなって、ぽっかり穴が空いてしまったような気がします。

残念です・・・





http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090503-00000033-sph-ent
ロックの革命家・忌野清志郎さん、がんに死す…58歳、早すぎるよ

5月3日8時0分配信 スポーツ報知
 ロック歌手の忌野清志郎(本名・栗原清志)さんが、癌(がん)性リンパ管症のため、都内の病院で2日午前0時51分に亡くなった。58歳だった。「RCサクセション」時代から若者のカリスマとして活躍した清志郎さんは、06年7月から喉頭(こうとう)がんで闘病。昨年2月の日本武道館公演で復帰後、同7月に左腰の腸骨に転移が見つかり、療養中だった。近親者のみで密葬の後、9日に東京・青山葬儀所で告別式を行う。

 激動のロックンロール人生に突如、終止符が打たれた。関係者によると、療養中だった清志郎さんは1日夜に容体が急変。「RCサクセション」ギタリストの「CHABO」こと仲井戸麗市(58)が公演後に都内の病院に駆けつけたが、家族や盟友の祈りも届かず、2日に天国へ旅立った。

 清志郎さんは06年6月末にのどの不調を訴え、検査を受けたところ、7月に喉頭がんと診断された。歌手生命にかかわることから声帯の摘出手術を避け、抗がん剤の治療で髪は抜け落ちたが、趣味のサイクリングなどによる不屈のリハビリで克服。昨年2月の日本武道館公演で、約1年7か月ぶりに一時復帰を果たした。

 同6月には声優初挑戦の米アニメ「スポンジ・ボブとアトランティス、行きたいんデス」の公開収録で「(体調は)全然、大丈夫。完治? そうですね。いつまでそんなこと言ってんだって感じ」と全快をアピール。皮肉にも直後の同7月に左腸骨へのがん転移が発覚。通院での放射線治療で、再度の闘病生活を送っていた。

 最近では治療に専念する同世代のパワーを感じてほしいと、タレント・間寛平(59)の地球一周アースマラソンの応援歌「走れ何処までも」「RUN寛平RUN」の2曲を書き下ろし。自宅近くの居酒屋で酒を酌み交わす仲の親友のため、同11月には2年6か月ぶりのレコーディングに精を出していた。

 今年に入ると大阪のラジオ局「FM802」の春のキャンペーンソング「Oh!RADIO」を作詞、作曲。現時点での“遺作”で「Oh!RADIO 聴かせておくれ この世界に 愛と平和のうたを」と魂の叫びをつづっていた。

 3月には“校長”を務めるNHK「ロックの学園」のライブ出演を見合わせるなど、今後の新曲発売やイベント出演など具体的には未定だったが、関係者は「治療を優先しつつ、先週もスタッフが打ち合わせを行い、新作に限らず、過去のカタログ作品の発売を検討していた矢先だった。病気の影響なのか、疲れがたまりやすいこともあり、復帰に向けては慎重だった」とショックで言葉を詰まらせた。

 清志郎さんは高校在学中に「RCサクセション」を結成し、70年にデビュー。フォークソング「僕の好きな先生」のヒットで注目を集め、ロックに移行した後の「雨あがりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」などで人気が爆発。甲高い独特の歌声と過激なパフォーマンスで「キング・オブ・ロック」「ゴッド」の異名を誇った。

 80年代後半には反原発ソングを作って、自主規制したレコード会社やラジオ局と徹底抗戦。テレビの歌番組に生出演した際に、放送禁止用語を連発しながら名指しでラジオ局を批判し、話題となった。99年にはロック版「君が代」の入ったアルバムを発売中止にしたレコード会社をやり玉に、またヒット曲「い・け・な・いルージュマジック」では坂本龍一(57)とキスも披露し、反体制的な言動でも人気をさらった。

 ◆忌野 清志郎(いまわの・きよしろう)本名・栗原清志。1951年4月2日、東京・中野区生まれ。66年に中学の同級生だった小林和生、破廉ケンチとバンド「ザ・クローバー」を結成。高校進学で解散し、67年に小林、武田清一と「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー (クローバーの残党の意)」を結成。自然消滅したが、68年に「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション(RCサクセション)」を結成。70年にシングル「宝くじは買わない」でデビュー。80年の「雨あがりの夜空に」などのヒットを残して、90年代前半に活動休止。その後はバンド「ザ・タイマーズ」「2・3’S」やソロで活動。多数のCM出演のほか、93年に「お墓と離婚」で映画デビュー。94年に「ボクの就職」でドラマデビューした。

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